エロを訪ねて三千里
究極のエロを探して2年の月日が流れた。1999年地球の滅亡は免れたが、エロに関しては絶望的な日本。
そして救世主の名に値する、一人の男が立ち上がった。エロから見える社会、経済、恋愛、結婚、人生など
手中に中にある古本を参考にしてエロの全てを語り尽くす。エロは果たして世界を救えるのか?
んな、わきゃねーだろ!
■ 2004/01/05 (Mon) ●チンコの語源(3) さて、[群馬に珍宝館というものがある]とメルマガに書いてあったが、これは性神というもので、
性神とは男女の性器を祀った神様のことで、戦前まではどこにでも存在していた。
私が知っている範囲では上野の不忍池聖天島にある『髭地蔵』だ。正面から見ると単なる地蔵だが、
後ろから見ると、男性器を想像させる形をしている。熱海にある『秘宝館』もそうだと考えられる。
世界のいろいろを旅している人はわかると思うが、世界中のどこにでも性神を崇拝しているところがあり、
日本でも存在している。興味がある人は近所でも探しては如何でしょうか。
で、話を元に戻すが、その性神の本を調べたところ、【性神風景 原 三正/秋田書店(昭和42年)】
にこんなことが書かれていた。少し長くなるが、引用する。
[第五章 宗教と性
ものを生み出す力、すなわち性の衝動はあらゆる分野に影響を及ぼした。まず第一に宗教である。
性的に発達した、言いかえれば性の重みを悩み苦しんだ民族にすぐれた宗教が生まれている。
インドにおける仏教、ヘブライおけるキリスト教などは、その一例である。しかしこれが堕落
して原始的な土俗信仰に安易に結びつくと、ラマ教とかヒンズー教のようにおかしなものができ
る。宗教には性に対抗する精神的・肉体的苦行であって、この性の衝動を完全に抑圧しつくすとい
うわけにはいかない。しかし、これも各人によって千差万別であって、宗教的法悦によって性的
法悦が置き換えられる面もあるのである。 ]
このことから、仏教用語からの言葉が発達して生まれたものだと決定づけ、性神として性器の形をした
石や石像、樹木などを祀ったことから、ありがたい棒という意も理解できなくはない。
風俗情報サイト「ナイトスキッパー」のお送りするメールマガジンが正しいと思います。
ただし、チンコやチンポは性語辞典の意味で記しているとおり、子供の性器の呼称を表しているのは一目瞭然、
一方で大人の男性器を『魔羅(まら)』・『麻羅(まら)』や『へのこ(←方言かも)』と呼んでいたようです。
ではでは。
※強制的に終わらせてしまいました、また、急いで掲載したいとの気持ちが募りすぎて、
校正もしないまま文章を載せ、まとまりのない文章だったことをここに深くお詫び申し上げます。
■ 2004/01/05 (Mon) ●チンコの語源(2) さて、家にある国語辞典(新明解 国語辞典 第5版/三省堂)にはこんなことが書いてある。
[ちんちん=陰茎の幼児語とある。]国語辞典で言葉の意味を調べてみても、語源までは載っていないので、
ここから先には進まない。困ったときには、私の秘本の【性語辞典 柴田千秋編/河出書房新社】で調べる。
これも同様に語源の意味までは載ってないが、何らかの手がかりがあるかもしれない。
そこに書かれていたものを少し紹介しよう。
ちょんぼ=陰茎。新潟県方言。
ちんこ=陰茎。おちんこ。幼児・子供用語。
ちんちん=陰茎。特に小児の陰茎。小児語。おちんちん。
ちんちんこ=小児の陰茎。宮城県の方言。
ちんぽ=陰茎。子供用語。
ちんぼう【珍棒】=陰茎。チン坊。一九七〇年に、NHKが性教育の放送用語として使用した。
ちんぽう【珍宝】=陰茎。子供俗語。ちんぽ。
ちんぼこ【珍鉾】=陰茎。子供俗語。ちんぽこ。
ちんぽこ=陰茎。ぽこちん。ちんぼこ。
これらの言葉の引用・出典されている本名や文章が記載されているが、あえて割愛させていただいた。
それは何でかと問われると、面倒だったからである。
この中で一番古くに使用されていたのは『ちんこ』は【真似鉄砲 1767年】であり、
ちなみに『ちんぽ』は【野間宏 真空地帯/1952年】、『ちんちん』は【川端康成 十六歳の日記/1914年】、
『ちんぼう』は平賀源内(エレキテルの人ね)の【痿陰隠逸伝 1768年】である。
これらはもちろん、性語辞典からの参考であるから、もちろん違うかもしれないが、推測するにも十分で
1767年の本に記載されることから、江戸時代にはすでに『チンコ』という言葉は存在していた。
ついでに、男性器を陰茎、女性器を女陰と呼ばれるように、昔は総称として陰名(隠名)ということがあるので、
【隠語辞典 楳垣実編/東京堂出版】、【性風俗辞典 中野栄三/慶友社】で調べてみたが、ちん〜という表現はなかった。
私の好きな歴史上の人物に宮武外骨(1867〜1955。香川県生。明治中期から昭和期にわたって活躍したジャーナリスト。)の
本【猥褻廃語辞イ(←変換できない)/大正8年】の中に
[ちゅうぼう 古書には重宝(ちゅうぼう)と書けり。男陰を言う。身体の「中棒」なるべし。「柱棒」と
書けるもあり。男陰を「男柱(おばしら)」または「帆柱」「肉柱」など言うに基くならんも、
柱棒は重言なり。男陰を棒と称することは「肉棒」また「厄介棒」など言う例あり。]
『チンコ』『チンポ』『チンチン』の共通点と見いだせるのは、共に『チン』という共通語である。
また、方言を見ても『チン』はなくても、必ず『チ』はあるのである。
古書にある、ちゅうぼうが何らかの原因でちんぼう→ちんぼ→ちんぽ、ちんことなったような気がする。
確か、池袋の風俗嬢、雅さんが『チンボ』と言っていて、私はエロ行為を中断して、しばしばチンコの話を話したことがある。
私の記憶が確かならば、静岡出身のお嬢さんだったと思う。その後、静岡の女性と付き合ったことがあるが、
その彼女は『チンボウ』と言っていた。同じ静岡県でも、方言が違うようだ。
実際に調べてみると、この問題私が考えた以上に奥深い。男性器を指し示す『チンコ』にしろ、『チンチン』、『チンポ』
『チンボウ』や『チンボ』の言葉がどこからやってきて、また、『チン』は何を意味するのか、ハッキリとした
定説はなさそうだ。(マンコ、オマンコも同様)
ついでに、Yahoo! JAPANにて【ちんこの語源】で検索してみると、こちらに記載してあった。
[風俗情報サイト「ナイトスキッパー」のお送りするメールマガジン。
■明日使えるエロ無駄知識「エロビアの泉」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○「ちんぽ」は・・・
「珍しい棒」を略したものである。(67へえ)
○うんちく
ちんぽの語源は仏教用語の「珍宝(ちんぽう)」がもとになっている。お釈迦様の言葉の中
に、「我(仏)を無量の珍宝を以て・・・」とあり、「私は珍しい宝を・・・」という意味だが、後の
人の解釈で、お釈迦様に賜るという珍しい宝=「ありがたいもの」という意味に変化したと
考えられる。つまり「珍しい棒」とは「ありがたい棒」という意味である。
さて、なぜちんぽが「ありがたい」棒なのかというと、常に死と身近であった古代においては、
生力=精力の象徴であり、精力の象徴である男根は、「ありがたい」ものなのである。現代
でも、男根をあがめる風習は一部の宗派や地域信仰において見受けられる。
ちなみに群馬には珍宝館というものがある。興味がある人は訪ねてみては!?
http://no1-skipper.com/mm/10_2/pc_index.htm]
■ 2004/01/05 (Mon) ●チンコの語源 まず、私が男性器の呼称を『チンコ』と呼んでいることから、説明せねばなるまい。
以前、メルマガを発行した当時からの原稿にも書いたが、皆さんは見ていないだろうから、
もう一度、説明する必要があるので、ここに書き記すとしよう。
私が小さい頃に使用されていた、男性器の呼称は『チンコ』『チンポ』『チンチン』がある。
その中で『チンチン』は幼児、『チンコ』は子供、『チンポ』は大人と仲良しの仲間たちで決めつけていた。
『チンポコ』という表現もあったが、私は使用していなかったし、周りもあまり使用されていなかったと記憶する。
これは、後々TVドラマ『毎度お騒がせします』という、少しエロいドラマの中で『ポコチン』という表現があったが
一時期は『ポコチン』という表現を使用していた記憶もある。特に女子が好んで使用していた向きもある。
これは、単にテレビの真似をしていただけで、現在も使用している人はあまり見かけない。
アダルトビデオを観ても、「おチンチンちょーだい」「おチンポ入れて」「おチンコ見せて」という表現があっても、
「おチンポコこすって」という表現を聞いたことがない。このことからあまり『チンポコ』は使用してないことがわかる。
もしかすると、たまたま借りたビデオが『チンポコ』と言わないだけで、もしかすると使用されているかもしれない。
しかし、現に私の周囲が『チンポコ』という人がいないことから、もしかするとどこかの方言なのかもしれない。
ところで、母親が小さい頃に私のチンコを『おチンチン』と呼んでいること思い出す。
これは、おマンコやおならと同様に『お』とつけることによる丁寧語である。と解釈している。
私は小学4年生の頃に『マンコ』が何であるかを知ったし、マンコという単語も知った。
昔に、ヤッターマン+コーヒー+ライターを続けて言うという遊びから、近所に住んでいる住吉から学んだものである。
小学5年生にもなれば、当然、学校の授業で性教育なるものがあった。
この時の表現が男性器は『ペニス』、女性器は『ヴァギナ』と言い、私はこれらの呼称に親しみを感じない。
保健体育ではこの呼称を用いられるが、日本語ではないため、もちろん親しみを感じないし、
夜の営み、別に夜じゃなくてもいいが、性生活において使用したことがない。普段の会話にも出てこない。
テレビでもバラエティ番組で『ボボ』という表現があるので、知っている人もいると思うが、
女性器を『ボボ』と言うことがある。これは、九州全域かわからないが、とにかく福岡県ではそう呼ぶ。
しかし、私たちの間では『ボボ』は使用しておらず、よほどの田舎町あるいは祖父や祖母の年代でないと使用はしない。
このことから、私は長らく女性器は『マンコ』を使用し、男性器は『チンポ』を使用していた。
が、私を知っている人ならわかると思うが、私の文章には下品な発言が多い。
インターネット上で文章を書く人間としては、『マンコ』『ウンコ』『オシッコ』と
並んで書いてしまうことが多々あるため、やむなく『チンコ』と変えた。
これには深い意味はないんだが、最後の言葉が『コ』の方が語呂がいいからですね。
だが、この表現が私自身気に入っていて、『チンポ』よりは『チンコ』の方が可愛らしさを残しつつ、
『チンチン』よりは少しアダルトな表現に思え、今現在では男性器を『チンコ』と使用している。
つまり、チンコが大好きなんである。
■ 2002/01/05 (Sat) ●チンコの章〜11里/九浅一深(きゅうせんいっしん)という性技 さて、チンコそのもののからいつの間にか実技の話へと変わった。というよりチンコの話なら何でもいいんだけどさ。さて、皆さんは『九浅一深』をご存じだろうか?な、何、知らない。それなら教えない。ウソです。それを説明せねば私は何のためにこんなところで誰も見ないようなこんなくだらないことを書いてきたのかさえ、わからなくなってしまう。
そう、この性技は九回浅く突き、一回深く突くという書いて字のごとく、そのまんまの意味である。つまりこれは、セックスチンコをマンコに入れている間だの腰の動かし方と言ってもいいだろう。私も若し頃になんかのマンガを読んで「なるほど、そうだったのか」と一人で納得し、当時付き合っていた彼女に試したことがある。しかし、その腰の動かし方に気が付いた彼女は私の首を絞めて、こういった「ちょっと、アンタ浮気してんでしょ」。「してないよ。何でそう思う?」と私が訊ねると、「いつもと違う」と言う。いや、いつもと違うっていったからって、浮気をしてもいないのに浮気をしていると言われても困るんだが、彼女は納得しない。訳を説明しても耳さえ貸さない。仕方がないので次の日、マンガを切り抜き、彼女に見せ『九浅一深』の意味を説明し、ようやくセックスをさせてあげてもいいという承諾を得た。しかし、女性ってのは冷静だね。腰の動かし方で「いつもと違う」ってわかるんだからさ。
若い頃は楽しむセックスというより性欲を満たすセックスの方が先走り、腰を速くしかも深く突いた方がいいと思いがちだがそういうことではない。つまり、この『九浅一深』には、そういった単調なセックスをするだけではダメだよと、戒める言葉なのではないかと私は思っている。ようやっと20代半ばで気が付いたことがある。腰は速く動かすよりも、速くもなく、遅くもなくゆったりと(ときには深突き)、また同じところを何度も突くのではなく、上へ下へ右へ左へと腰を回転させながら、突く方が女性はイキやすくなることを確信した、たぶん。なぜ、ゆったりとした腰を動かした方が気持ちがいいのかよくはわからないが、そっちの方がいいという人は多い(オヤジ世代と付き合ってる女性たちは言う)。
■ 2002/01/04 (Fri) ●チンコの章〜10里/チンコはマンコに挿入れるだけのものではない さて、チンコの話はこれくらいにして、チンコ話の大事なことを斎藤綾子(作家)・南智子(風俗業兼作家)・亀山早苗(ライター)の対談集『男を抱くということ』(飛鳥新社)でこんなことを語っています。大変良いことを言っているので世の男性諸君は耳を傾け、世の女性諸君は実践するように。
[斎藤 私の場合で言うと、私が男性を愛撫しているとするよね。相手も、委ねてくれる。でも、勃起してきて、「じゃあ、当然、次の流れとしては挿入だよね」というタイミングのときに挿入させない。で、「あなたのお尻をいじらせて」というように希望を出すとオロオロするんだよ、男の人は。オロオロし始めて、いつもの手順が崩れると「もう絶対に譲歩はしない」とかたくなになるんだよね]
たいがいのセックスの手順は決まっている。よっぽど、特殊な性嗜好ではない限り、キスして、愛撫、次はフェラあるいはクンニ(シックスナイン)、最後はインサートと相場は決まっている(何処の相場だ、そりゃ)。しかし、そのマニュアル通りに進行しなければ、今までの型どおりのセックスが崩壊してしまうと思いから、不安になりオロオロするのだろう。また、若い頃はセックス自体を楽しむことができず、ついつい安易な挿入という行為にも走ってしまう。
[カメ セックスの流れにおいて、男性側が自分の手順としてはこの先、挿入しかないはずなのに、「別のことをしたい」と言われると、「一体、何をするんだ、この女は」となるわけですね。
斎藤 そう。柔軟性がない。女は相手が思いがけない行為をしかけてきたためにオロオロしたとしても、少しずつ譲っていくじゃない。ある意味では仕方なく、ある意味では信頼して。性行為って、そうやって自分を切り崩していく面があると思うだけど、男の人はあまりそうしたがらない。付き合いが長くなって、やっと委ねてくれたということはあるけど、まれなケースだよね。
オナニーでは、自分が受け身になることをイメージしてる男は多いと思うんだよ。だけど、いざセックスの場面で、具体的に女が次にどう出てくるのか予測できないと、絶対に嫌だというところがあるんだろうね。しかも、挿入させてくれないと、非常に不安になるみたい。
カメ 挿入のみ価値を見いだしてる。だから、バイアグラも話題になったりするわけですよね。
斎藤 「俺はこんなガチガチに勃起してるんだし、君だってこんなに濡れてるのに、どうして挿入という形にならないの。自然と挿入となるはずでしょ。挿入したら、射精をコントロールして君を生かしてあげるよ」という思いが男性の中にあるんだと思うけど。私は「挿入はおまけでいいじゃん」というセックスもするからね。そういうふうなセックスをしようとする時に、「男気」とか、「男はこうあるべし」とかいうのがすごく邪魔になるんだよね。
南 だから、初めから世間の常識からはずれている性感マッサージ店に来ると、「ここならいいんだ」と開放的になれる男性がいるということですね。]
長々と引用してしまったが、南さんは大変素晴らしいことをおっしゃっています。そうなのです。金銭を払うことにより割り切り、いろいろな夾雑物を取り払ってくれるところが風俗店での楽しく真面目なセックスなのです。たとえ、挿入行為がなくとも心身共に満足できます(だけど個人差)。私もそうですけど、やっぱり恋人には「もっと力強く吸ってくれ」とか「早く、そして力強くシゴいてくれ」、「肛門を舐めてくれ」とは言い難い。それが風俗店では言わずとも舐める女性は舐めるし、舐めなければ「舐めて下さい」と懇願しますし、そういう空間で楽しめるところが風俗店です。女性の中でも恋人には言い難いけど、仕事(風俗)ではお客さんに注文するコもいる。
斎藤さんも言っていますけど、「男はこうあるべき」「男だから」などという観念は存在しなくてもいい。つまり、男はイカせなきゃいけないとかリードするのは男という観念や価値観が邪魔して純粋にセックスが楽しめない。セックスが嫌いな男だっているさね。男が責め一手である必要もない。ましてや女性が必ず受け身になる必要もない。結局のところおざなりのセックスの手順や男とか女とかの立場を取り除き、純粋に快楽だけに没頭できてこそ、気持ちいいセックスができるのではないだろか。
後で南さんはこの様なことを言っている。
〔でも、不思議なのは、図々しくて厚顔無恥な男ほど、たいして悩むこともなくそれを受け入れて乗り越えていくのよ。それで客体となって女になっていくのね、違う意味で。〕
この女になっていくという意味は、別に女性になりたい願望が出てくるとか、チンコが好きになるという意味ではなく、先に斎藤さんが言っていたように[相手が思いがけない行為をしかけてきたためにオロオロしたとしても、少しずつ譲っていくじゃない。]という意味と私は解釈した。
■ 2001/10/14 (Sun) ● チンコの章〜9里/鼻がデカイとチンコもデカイのか? チンコに関する俗説はいっぱいある。その中でもよく聞くのが鼻がデカイとチンコもデカイ。私の友人に鼻がデカイ冨井(とみい)君というのがいる。チンコを見たが、確かにでかかった。しかし、ボッキ時は見たことがないため、わからなかったが『デカイ』という基準はあくまで、平常時を指すのだ。先に引用した本で斎藤綾子氏はこう述べている。
斎藤綾子・伏見憲明『対話 快楽の技術』(学陽書房 1993)
[綾子 今までの統計で考えてみて、鼻が大きいのはデカイというでしょ。あれは嘘ね。骨格に比例する。骨が太い人は太い。骨細の人は、そんなに太くない。というのが、私の統計にある。
憲明 その理論でいうと、ぼくのは細くなる………。]
とすると、私も細くなる。しかも、これはボッキ時か、平常時かということだ。私は私自身、小さいと思っている。平常時もボッキ時もだ。平常時は確かに私のは小さい。しかし、ボッキ時のは私は小さいと思っていても、付き合っていた彼女数人に、大きいとは言われたことがないが、太いと言われたことがある。ここでは、太いということではなく、大きいということがポイントとなる。太さ、長さが均等であるということ、それプラス平均チンコより大きいということだ。とすると、骨格で大きさがわかるということはあながち間違えではないかもしれない。
鼻がデカイとチンコはデカイという俗説は、この本でも書かれている。
別冊宝島編集部編『続・セックスはなぜ快感≠ネのか』(宝島社文庫 2000)
[鼻の大きさが、男性のペニスの大きさと関係しているという俗説は、日本のみならず多くの国であるようだ。単なる俗説もこれだけ国際的になると、なんだか部分的に本当なのではないかという気もしてくる。][日本人の鼻は、国際的に見てもさほど大きいほうではない。だから、鼻が高く立派な欧米人とくらべて、鼻に比例して小さめ、と考えている日本人は多いかもしれない。ところが、日本人と同様に鼻梁がさほど高くなくてもペニスは大きめという人種はたくさんいる。]
なるほど。ということは鼻を見たらチンコがわかるというのはウソである。たまたま、鼻がでかくて、チンコもデカイヤツもいようが、それはたまたまである。
■ 2001/10/13 (Sat) ●チンコの章〜8里/カリ高は鼻高々か 私はカリ高である。カリ高の基準は何だったかなぁ。なんかの雑誌で読んだことがあるが、忘れてしまった。サオの部分からカリの部分まで3mmの段差があるば、カリ高だったけな、よく思い出せないや。ま、今度きっちり調べておこう。
普段、私は3Pだの、男同士でセックスをしたことがないので、ボッキしたチンコをあまり見たことがない。あるとすれば、修学旅行の時に寝ているヤツのチンコを擦っていたときに見たくらいか。でも、当時は男のチンコに興味がなかったため、チンコをよく観察しなかった、今、思い出そうにも思い出せないが、あえて言うなら、思い出したくないというところか。しかし、性を研究する事が楽しくなった今は、銭湯に行ったとき、温泉に行ったとき、サウナに行ったときはチンコをマジマジと見るが、ボッキ時はあまり見たことない。強いて言えば、アダルトビデオくらいのもんだろう。最近はアダルトビデオを見ないからわからないが、昔は男優さんに先細、中太チンコの人がいた。これです。先細と対照的なのはカリ高です。カリ高は男性にとって誇れるべき事なのだろうか。女性にとって、カリは重要なのか。
今、私の手元に素晴らしい本がある。本の中で斎藤綾子氏はカリについてこう語っている。斎藤綾子・伏見憲明『対話 快楽の技術』(学陽書房 1993)
[憲明 膣のなかで、どこがカリかっていうのは感触でわかるの?
綾子 やっぱりインサートの瞬間だよね。
憲明 でもさ、先細りのペニスのほうが、細いから入りやすいわけで、そのあとだんだん太くなっていったほうがいいんじゃないの?
綾子 いや、膣口は入ったということがわかればいいわけ。そのためにはカリが大きい方がいい。膣の奥はわりとフッと広がるんだよ。だから、そこに存在感がないと「なんですか?」になっちゃうの(笑)。それで、その時、根本が細いと楽なわけよ。そこには存在感はそんなになくてもいいから。
憲明 でも、入れる時はカリ太だったりすると痛いということは……。
綾子 それはひとつの儀式よ(笑)
憲明 「きた!」っていう。
綾子 そう。]
なるほど。カリの重要性はインサート時なのか。よく、膣内でカリが引っかかって、女性が気持ちよくなると聞いたことがあるが、それは違うのか。違うという人もいるが、それも気持ちいいという人もいるだろう。膣の奥は割と広いため存在感が必要と言っている。となるとだ。先に紹介した先細チンコはあまり気持ちが良くないということになるのか。いや、
先細チンコは膣内では存在感がないということか。私は膣がないから、よくわからん。
|
|
|
|
スポンサーも訪れてください。 Web-Diary |