多恥総論

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■ 2004/12/24 (Fri)  つける「酒」の謎

先日、愛飲している焼酎が切れたのでDマインマートに買いに・・。すると、また誘惑が・・。前に買った紫蘇入りの焼酎「山の香」を買おうとしていると見たことのないきれいなラベンダー色のボトルでこちらも紫蘇焼酎。試しに買ってみました。いつもの焼酎「二階堂むぎ焼酎」は、今保管できる棚が、コストコで血迷って買った5リットル入りのビネガーに占領されていたので、キャンセル。夜の9時も過ぎていたので人もまばら。スパークリングワインのセットをバッグに入れて陳列している人を発見したので、どんなワインか聞いてみた。浜崎あゆみが宣伝しているスパークリングワインのミニボトル3種詰め合わせらしい。チンザノが出しているらしい。そこでの会話。

「もしよろしければフルートグラスがあるので【お付け】しますよ」
「んんんん、でも車だし・・」
「ああ・・」

と何気にかみ合ってない会話。レジの近くにあったフルボトルを購入するとボトルのネックにおまけのグラスが付いていた。そこで話しはかみ合ったのでした・・・。

私の【付ける】は、グラスにお酒を注ぐ、お店の人の【付ける】はおまけのグラスを差し上げる、の意味だったのでした。チャンチャン。
■ 2004/09/02 (Thu)  なんたって!

びっくりするのが、ココの日記、削除されないんですよ〜。まあいいか♪

さてと、一昨日のメンズデイに「華氏911」を見てきたんですね〜、マイケル・ムーア。この人の作品は「ボウリングフォーコロンバイン」を皮切りに、AWFUL TRUETH(バカでマヌケなアメリカ人)の3巻としばらくしてから、マイケル・ムーアの原点である「ロジャー&ミー」と見たのですよ。「ボウリング・・」は、ドキュメンタリーとしても映画としても大変優れた出来で、途中思わず感動の泪を流しそうになりました(Kマートの広報の発表のシーン)。この映画は実際に起きた学生による学校内での銃乱射殺人事件ということで、「学校」、「子供」、「地域」など身近な素材がたくさん詰まっていて、アメリカの抱える非常に重たい問題を、わかりやすく露呈し単刀直入に突っ込んでいくマイケルの手法が巧みに描かれた映画でした。

今回は「アメリカ政府」、「戦争」、「テロリスト」と身近な生活とは少しかけ離れているけれど、よく考えたら恐ろしい事実がたくさん「隠れている」素材なのです。まだ記憶に新しい「ナインイレブン」ですが、日本国内でもどれだけの人が「アメリカの正当性」に疑問を抱えているか非常に興味があります。テロリストに屈さない姿勢を変えない「アメリカ」、つまりブッシュ政権が、実はスケープゴートである「フセイン政権」をターゲットとして戦争を始めたのです。

話しを簡単にまとめると、ビンラディン一家と非常に強いつながりのあるブッシュ一家のビジネス、石油が絡んでますよ〜。世界貿易ビルへのテロリズムの首謀者であるオサマ・ビン・ラディンはココの一族です。しかしちょっと鼻つまみ者。ちょっと人数が増えた親戚にいますよね、なんだか変わり者と敬遠される「叔父」や「叔母」、はたまた私たちの歳くらいになると「いとこ」とか。ま、オサマ・ビンラディンがやったという事実は本当らしいです。で、なぜブッシュはその矛先をオサマにぶつけないか?本当ならとっくに捕まえていていいはずなのに「捕まえていない」のは・・・オサマ・ビンラディンは鼻つまみ者に変わりないのですが、一族から縁を切られるほどではないのです。オサマ・ビンラディンのアメリカに住む(留学など)一族の24名が、アメリカ中の空港が閉鎖される中、極秘に民間機でピックアップされアメリカを後にしたというのも周知の事実。テロ後もアラブ系のアメリカ人たちがひどい目にあったとおり、その直接の被害を避けるための「アメリカ脱出」ということです。いつの間に「大量破壊兵器」を隠匿されているとされている「イラク」がその矛先になったのですが、これはなぜ?それはビジネスで固いつながりがあり、長年にわたりブッシュの関係する企業に巨万の富ともいえる利益を落とし続けている一族への攻撃に躊躇したのです。そして20年ほど前の「お礼参り」さながらのイラク攻撃と相成ったわけです。

で、犠牲者はやはり「民間人」だったりするんです。イラク人は「誤爆」の元にたくさんの犠牲者を出していた入りするけど、アメリカ人兵士のように「血が騒ぐ」者や「ゲーム感覚」の興奮の下、殺戮を繰り返すのでなく、アメリカが提唱している「自衛」のために闘っているのがイラク人で、アメリカのようなハイテク兵器が無くとも、自国のプライドのため抵抗しているといった念が少なくないのです。中でも印象的だったのが、イラク人の男性がトラックの荷台に積まれた死体から、1歳そこそこの子供のホコリまみれの遺体をグワシと掴み、カメラに向けて「この子が何の罪を犯したというんだ!」、と言い寄るシーンでは、本当にハートが痛い、といった感じでした。凹むよ・・。

では被害者はイラク人だけでしょうか?というと、そうではなく戦火にて負傷したアメリカ人兵士も、国会で相次いで可決され、減らされる「傷痍軍人年金」といった類のものです。例えフィジカルな怪我はしなくても「人を殺したという感情は一生忘れられない」というようなコメントをした兵士のような経験を、これからの人生(兵士はほとんどが20代前半って感じでした)50年として、その間中その罪の意識の中生きていかないといけないとは・・・。

その話の裏側で、失業率のやたら高い街で職業の斡旋をする婦人、彼女もその家族も「軍への入隊」は収入の面等も含めると、どちらかというと当たり前の事だったのです。娘をイラクで亡くすまでは・・・。

国が絡む諍いで、日本とはあまり接点も一見なさそう(縁も?)ですが、その中にも等身大の問題として置き換えることの可能な要素がたくさんあり、対岸の火事とするにはちょっと勿体ないかも。ツインタワーが攻撃された時、ブッシュはどこかの小学校の授業に参加しているのですが、参謀長官が「耳打ち」をしにやってくるシーンでの彼の顔は見ものです。

アメリカの実社会、怖いですよ〜。日本政府は尻尾振っているけど・・。
■ 2004/05/04 (Tue)  ホーンテッドマンション

ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還〜から久々に映画を見た。びっくりしたのがお気に入りの映画館「マイカル松竹シネマズ本牧」が松竹のマルチシネプレックスの「MOVIX」というのに変わっていた。はぁ??集めたスタンプカード(5月一杯有効)とあと1つのスタンプで招待券と化するカードの行方は??と思った。

知らないで出かけてびっくり!何と毎月1日は映画の日で、一作品¥1000円で観られる日だった。なので狙っていったホーンテッドマンション、17:40分スタートの分は40分ほど早めに行ったに関わらず売り切れ・・結局19:40のチケットを購入した。一万円を出して、スタンプカードの事を聞いたら新たに発行はしないけれど現行分は対応してくれるとの事で得した気分!まんまとスタンプカードを貯める事が出来た。駐車券をもらいセシィとフードコートでどう時間を潰すか、作戦会議をすることになった。コーヒーやアイスやら買って、はらら・・と思ったのが、さっきのお釣り、もらってない!ということだった。すぐに取りに戻ってすんなり8千円を返してもらえた。

なんとか時間も潰せたので、時間の少し前に入場したがプレビューが始まったところで場内は暗くなっていた。映画が始まり、さすがエディ・マーフィー、という軽快なテンポで映画は進む。ストーリーは旅行に行く前に立ち寄った商談先で、不動産屋を営むエディ夫妻とその子供たちが幽霊屋敷であるこの家で起こるどたばたを描いたコメディだった。10分ごろ経過した頃に「おや?」と思ったのだが次の約15分間は気をつけていたが、やはりその「おや?」は的中した。エディ・マーフィーの映画に不可欠な「SHIT」や「DAMN」という言葉が出てこない。これらはいわゆるFOUR LETTER WORDと呼ばれ、悪い言葉と敬遠されるが、実際には「チェッ」とか割と軽い感じでカジュアルに使われる「大して悪くない言葉」である。たとえば「すっごいでかい!」はFUCKING HUGEと言うし、その通り!はDAMN RIGHT!となる。エディが劇中に言った、それに近い言葉といえばOH, MAN!である。おや?と思ったときに辻褄が合ったのだが、これはディズニー映画でした♪

ビデオで観た、フォーンブース、つまんなかった。話の展開の詰めが非常に甘いのでした。
■ 2004/04/13 (Tue)  どきどき・・

削除されてなかった〜(涙)
■ 2003/12/24 (Wed)  クリスマス

下の話の続きだが、すごく驚いたエピソードがある。セシィがまだ赤ちゃんの時に、近所の教会の一室を借りてプレイグループと称する集まりがあった。私の住む近辺には日本勤務などでたくさんの外国人がいるのだが、幼稚園に行かせる前の年齢の子供を集めて一緒に遊ばせる、というものだった。セシィが小さい時に、どういう歌や手遊びを英語の曲でやるのか知識が皆無だったので時間のあるときには出かけていった。スゥエーデン、オーストラリア、カナダなど子供の国籍もバラエティに富んでいた。その中でひとりのオーストラリア人のお母さんがアジア人の子供を連れていたのだ。最初はベビーシッターかな?とでも思ったのだが、どうやら養子にもらったというのである。日本で養子と言えば子供が出来ない夫婦の取る手段のようにとられがちだが、彼女と夫の間にはすでに二人の子供がいて、三人目を欲しかったのだが、妊娠して出産するのが大変だから、と言う理由でその時にいた国、韓国で養子をもらったそうだ。彼女いわく、韓国はキリスト教徒が多く堕胎がタブーであったりするので、たくさんの子供が親がなく育っているのだとか。もちろんこの話を聞いた時はびっくりした。確かに9ヶ月とも言われる妊娠の期間は身体だけでなく精神的にも色々と影響を及ぼすし、出産も非常にリスクがある。まあ、合理的といえば合理的なのだろう。子供が欲しい夫婦に子供を、親が必要な子供に親を、という形式は悪くない。

不妊の治療もそうだが、養子縁組などのシステムを今より緩和する必要もあるのではないだろうか?厚生省。

巷ではクリスマスである。今もワイドショーで最近「ブーム」のクリスマスイルミネーションで賑わう住宅街を特集していた。確かにスゴイ!いくらつぎ込んでるんだ??しかし、みんな揃いに揃ってセンスがない。スゴイ、が、ステキ、とは程遠いセンスである。大屋政子的な美的センスである。外国ではイルミネーションをまだ品良く飾ってあるし、クリスマスを「イベント」として楽しむ民族にはそこまで思考する必要はないのであろうか。第一、イルミネーションは100球のものであればアメリカでは2ドル程度のものである。日本では10倍は軽くするので、装飾を揃えるのに数百万などというキチガイ的な数字が上がって来る。もともと日本には家を飾るセンスが西洋に比べ劣っているので仕方ないことだろう。さてこの「ブーム」、いつまで続くのだろうか(笑)?

我が家では特にクリスマスを祝うことはない。家族で食事に出かけようとしても、クリスマススペシャルディナー、お一人様8000円(税・サ別)などという、普段気取りもしないレストランがこのように化けるのは許せないのである。しかもこのメニューしかないのでメインに必ずと良いほど持ってくる「牛」というチョイスをしなければならないのが更に輪を掛けている。ダンナは掻き入れ時で、どうせ家にいないし、厳格なクリスチャンの母とは大違いの息子である。ダンナはクリスマスは「どうでもいいこと」だと言い切る。元の「クリスマスを祝う」という意味とはかけ離れて、プレゼントをはじめとする「お金を使う」事を抜きにして現代のクリスマスは祝えないと言う。確かに・・・。ということで我が家にはクリスマスツリーも電飾もない。子供のために安くなったツリーを来年用に買おうかな、とは思っている。子供にするとこのような行事は楽しみなことであることには違いない。サンタがプレゼントを持ってきてくれるというはかない望みも踏みにじるには残酷すぎる。なんせピザーラの配達の人を見ても「あ!サンタさん!」と絶叫しているのである。

それにしても2年目を迎え、底がボロボロになってしまったルームシューズの代わりを、密かにサンタにお願いしている私である。
■ 2003/12/15 (Mon)  サロゲートマザー

いつものことだが向井千秋と向井亜紀を間違えてしまうことがある。出だしからどうでも良い事である。

妊娠4ヶ月にして子宮けいガンに侵された子宮をその胎児ごと摘出して、悲劇のヒロインとなりながらも勇敢に愛する夫のDNAを残したいと渡米し、一口に一千万円とも言われる代理母を使っての出産を三度目の正直で成功させ、晴れて双子の母となった向井亜紀、前田レスラー夫妻。日本や世界中で子供が授からず、不妊治療を続けている人は数知れずだが、先日もテレビでやっていたが、ある夫婦が8年間に不妊治療につぎ込んだ金額は五百万円だという。代理母であろうが、金がないやつらは諦めろ、というような激励である(笑)。

芸能人という職業柄、ある程度のプライバシーも売り物になるのだろうが、こういう人にだからこそ里親から養子縁組などの「捨てられた子供」を救って欲しいという願いがある。

ある日、セシィを妊娠中のことだったがフリマに出店した時に隣にいた親子連れがいた。子供も20歳を超えているような親子だった。お母さんと話をしていると、うちの次女と同じクラスに下の娘がいるという。またその話しを勧めると、その娘は実の子供ではなく里子だというのだ。一口に里子と言っても、民生委員(というのか?)のようなコーディネイター的存在が子供と受け入れ先の親の環境などを調査し、また受け入れ先の親の都合を優先的に、週末と盆暮れのみや普通にその家で365日生活するなど色々な形態があるらしく、ここの家では家族全員での稼業があるので、盆暮れ正月や受け入れられる週末だけという感じで里子としてこの子供を迎え入れていた。

確かに自分や自分の愛する家族に似た子供はなんともいえない可愛さがある。しかし逆にそのDNAを怖いと思うこともあるし、小さくてもきちんと親とは全く違う人格を持つのも子供である。れっきとした愛を掛けてあげれば、バイオロジカルチャイルドではなくても愛情を何らかの形で返してくれるのも子供である。あくまでも大人と子供の信頼関係の元に成り立つ人間同士の付き合い如何で、その親子の情景は生まれてくるものである。骨肉の争いとは他人は含まれず、あくまでも血縁関係を持つ人間同士の、人間の汚い部分の露呈である。

私はその里親をしている人との会話で非常に気になったのだが、里子とされている子供の実の両親は今になっては行方不明になってしまったらしいのである。彼女は捨てられたのだ。こういう事実が回りにあるということを考えると、日本人が非常に大事にする血のつながりとはなんだろう?と疑問が生まれるのである。その昔では養子やもらわれッ子、はたまた親の再婚で連れ子などと称され、周りからは冷ややかな目で見られる時代もあったし、今でこそ離婚や再婚は珍しいものではなくなったが、やはり在日外国人と同様、その非純粋な形態に人々は優越をつけたがる。

高田のDNAを残したいという気持ちに二百十二歩譲ったとしよう。でもなんだかいらない高速道路にお金を掛けて、庶民の気持ちは切り捨てるような冷たい感じを、勝手ながら受けてしまったような感じがするぞ>向井亜紀。

思考回路が今日はあまり良くないので次回に続く・・・。
■ 2003/12/05 (Fri)  ベジタリアンとは・・

先日アメリカ人の友人が朝っぱらから(開けたのが、だが)メールを送ってきていて、中を見てみると写真が何枚も貼り付けられていて、相当な剣幕で「こんなことがあってはならない!保護団体がこの写真を目にしてこれを辞めさせることがあればいい」というような短い文章も書かれていた。その写真はお隣の国、韓国で犬が食肉となる過程で「犬がつながれている写真」→「引きずられていく写真」→「台の上で伸びている(死んでいる)写真」→「皮を剥かれ山積みになった写真」→「食肉として売られている写真」と続き、後半はやはり目をおもわず背けたくなるようなものだった。

私は犬肉の話は知っていたし、この犬たちは食肉となるために飼育されることも聞いていた。ワールドカップの時に一時的に国際的な攻撃を避けるために渋々と韓国の人々が「犬鍋」の看板を下ろしていた事もニュースで見ていた。では韓国の人、誰もが犬肉を食するかというとそれは事実とは違い、ある特定の地域で「きりたんぽ」ではないが特産の食事として振るわれるものであり、アメリカ人がターキーを感謝祭に頂くような日があり、犬鍋を食べるのだと聞いたことがある。そして犬肉を食すことは韓国の人にしてみれば歴史のあることであり、日常でもあるだろう。

確かにこの写真はグロテスクであるが、食肉として「と殺」を強いられるのは当然のことであり、このような動物の犠牲の元に人間は豊かな食生活を送れるのである。と言えるのはこの現代のことであり、戦中戦後など貧しい時期には犬だろうが猫だろうが食べた、という人もたくさんいたんだろうと思う。現につぶらな瞳がかわいい牛を、毎日世界中でたくさんの人が殺し口に運ぶ。マクドナルドだって大繁盛している。

私は韓国と犬鍋や食肉そのもののあり方の自分の考えなどを説明しようと彼女に返事を出した。すると彼女は自分は肉で食べるのは魚だけだといい、多くの自称ベジタリアンがそうであるように、動物を苦しめたくないと一様に口にするような返事が返ってきた。魚には痛覚がないから死ぬのに苦しまないというのだ。私は大いに異議があったのである。

そもそも痛みが伴わなければ惨殺しても虐殺しても許されるのだろうか?魚は元々、水中の酸素を生きる糧として大気中では生きられないのである。その証拠に魚を水から揚げると痛みはないにしても苦しそうにもがきだんだんと動かなくなってくる。それでは牛や鶏や犬もが同じように、柵の中から連れ出され、人の手を介すことなく魚と同じように死を迎えるのであれば良いのだろうか?私にしてみるとどちらも同じで、世の中でもっとも残忍とされる動物、「人間」の手によりその自然に淘汰されりべきの命を奪われることには変わりがないと思う。いるかや鯨の問題も同様で、人間という身勝手で計り知れない残酷性を持ち合わせる動物の手でこの世からいなくなろうとも、それは人間が「生き残る」ためとして歴史の中で培った食の手段であり、野生に生きる動物をハンティングという「楽しみ」のために殺す行為は無視していいのだろうか?こっちを遊びで殺すのは良くて、生きるために殺して食すのはダメだとか、どこにそのボーダーがあるか不思議でならない。痛いか痛くないか、苦しいか苦しくないかは人間が考える問題であって、やめることが出来ない「食」への歴史や文化は元々間違ったものであるということさえいまさら浮き彫りにしようというのか?オーガニック栽培といわれる野菜でさえ、骨粉などの飼料が使われるだろう事実をどう捉えるべきか?確かに、世の中は矛盾で成り立っているといって正解であろう。

日本でもパクって非常につまらない番組になってしまった「サバイバー」だが、この本家USA版をなぜか夜中にやっていたのでだんなと見ていたが、第二弾であったオーストラリアの秘境での出来事で、猪を捕まえて殺し食べるシーンでベジタリアンの「KIMMY」が泣き叫びながら「アナタたちはどうにかしてるわ!信じられない」といいながらみんなのもとを離れてしまった出来事があった。

ベジタリアンとは飽食の時代が生んだ個人の食生活の「チョイス」であり、人々に強要するものではない。私もそれらしきことをしているが、久々にリブを食べた時に獣臭くて美味しくなかったが、それを食べる人を批判するのはどうかと思う。ただし、肉汁の滴る生焼けのステーキなどは病気などをまだまだ媒介するので(狂牛病を含む)、それを食べる人は「信じられない」という感じがする。そもそも哺乳類を基本的に食べるのをやめたのは、残酷な映像を目の当たりにした故の気持ち悪さからであり、動物の痛みなどは私がベジタリアンっぽい食生活を始めた理由とはかけ離れたものであった。ただしたまにはその肉が入った何かを食べる機会があるし、ある程度の妥協はしている。

その友人も、KIMMYもこれでは、「中絶は立派な殺人だ!」とクリニックを爆破する人々のマインドとなんら変わりはないような感じがしてならないのである。

 
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